白光真宏会は信ずべきものではない 3

前項からの続き
それ故、私はここでも、残念な思いと共に(何故なら、私も過去の一時期、彼を慕っていたから)、「五井昌久氏の宗教は信ずべきものではない」と再確認しなければならない。(たとえ彼の「主観の善意」は少しも疑えなくても、である。)
五井昌久氏自身、地球外生命をはっきりと肯定していた人だが、更に、彼の弟子に村田正雄という霊能者の方が居たが、五井氏はその人の体験をも認めて(肯定して)いたのである。下は村田氏が自身の体験を綴った本である。
次は、同じ本の中で五井氏が村田氏を紹介した文章である。
(顔写真は村田氏)
これにより私達は、五井氏がアダムスキーのことをも基本的に認めていたことを知る。
私としての結論は、「人間」というものはどんなに人格的に優れていても、どんなに純粋な善意をもって精進しても、そしてその結果どんなに優れた「霊能」を証明することになっても、なおそれら全体がそっくりそのまま「サタンの掌の中」ということがあり得る、ということである。残酷な真実ではあるが。
おそらく「人間」は、霊的事象の前では、その深い神秘の前では、それほどに小さい。
「どうしてそんな残酷な事が起こり得る世界なのか、どうして神様はそんな事が起こるのを許しておられるのか」などと、私に訊かないで欲しい。そこのところの深い理由は、最も深い理由は、私にも分からない。
しかし、その種の疑問は、非宗教的な人が地上だけを見て「何故まったく善意のように見える人が『故なき不運』に陥ったりするのか」と訝ることと似ているかも知れない。
思うに、霊的事象(宗教界)においても事は同様であって、似ていて、主観においてまったく善意の人が「故なき不運」(に見えるもの)に見舞われることも、実際、多いのである。
五井氏を慕う人々の中に、前項でも登場したベンジャミン・クレームの説く「ロード・マイトレーヤ」なる存在に好意的な人がまま見受けられるのは、自然な、もっともなことである。(何故なら、五井氏の思想もクレームの思想も「アセンデッド・マスターズ」の思想だからである。)
しかしそういう人は、かのマダム・ブラバツキーやアリス・ベイリーらの「神智学」なるものが善なるや悪なるやを、己が霊魂の中でよく確認した方が良い。何故ならクレームは神智学だからである。(「アセンデッド・マスターズ」という概念も神智学のものである。)
「ルシファー」は、神智学が言うように、「悪神であると〈誤解〉され続けてきたが、本当は善い神様」・・・なのですか?
そこをよく確かめられた方が良い。