2010年12月7日

悪魔の憎悪 1

人は、「この世の悪」を調べる者のことは、なんにも言わない。むしろ、そのような事に従事している人達 ------- 警察、犯罪学者 etc. ------- のことを普通に認めるだろう。けれど、誰かが「あの世の悪」を調べているとなると、変な目で見たりするのである。私はそのような目を持った人のことを、かえってこう思うのである。「寝ぼけ眼(まなこ)の人」

何故なら、霊界にはそれは大きな「悪」が在るからである。実在している。
霊界に悪が在るのを認める人は少なくない。けれども、そのような人達でもその多くは、霊界における悪の「規模」と「実態」をまったく測定しそこなっているように私には思われるのである。(それはいわば「実測」でなければならない。)

だからこそ、私は、記事「アルベルト・ドレクセル教授」で、次のような、ちょっと見には奇妙に思われるだろうことを言ったのである。
「神を」ではなくむしろ「悪霊を」、「真理を」ではなくむしろ「非真理を」、調べた方がいい。
自画自賛になるが、その通りだと思う。

何故なら、概してこう言えるからだ。
  • 私達は大抵、気のいい、お人好しの、ボンヤリ人間である。
  • そして、悪いことに、「自分は『善とは何か』を知っている」と思っている。だから、そういうお人好しで自己過信の人が「善」だけを追えば、ついフリーメーソンの「自由、平等、博愛」という標語を見て「その通りだ」などと思ったりする。
  • そして、悪いことに、「自分は『真理とは何か』を知っている」と思っている。
    だから、そういうお人好しで自己過信の人が「真理」だけを追えば、つい神智学協会の「真理より高い宗教はない」(参照「神智学協会の標語」)という標語を見て「その通りだ」などと思ったりする。

そして、こうである。
  • そして、悪いことに、「自分は『宗教とは何か』を知っている」と思っている。
    だから、そういうお人好しで自己過信の人が「善」だけを追えば、ついシルバーバーチの「儀式にこだわった方法は迷信を助長します。そういう形式はイエスの教えとは何の関係もありません」(参照「シルバーバーチは悪霊である 3」)などという主張を見て「その通りだ」などと思ったりする。

しかし、見よ、
もしあなたが「悪」を少し研究するなら
全体の眺望は全く違ったものになるであろう!

以下、エクソシズムにおける悪魔の自白である。前にも言ったが、これは翻訳文である。文章だけを見ると、あたかも悪魔がそれなりに落ち着いて話しているかのような印象を受けるかも知れない。けれども、エクソシズムの実際の場面では、悪魔は叫びつつ、呻きつつ、荒れつつ、これを言ったに違いない。

彼らはミサと聖体を憎む
ミサと聖体拝領はお前達カトリックにとって二つの重大な事柄である。全ての神秘家、そして全ての聖母出現さえ、その二つには場所を譲らなければならない。聖なるミサは莫大な価値を、想像など及びもつかない価値を持つ。キリスト自身が、充満せる彼の恵みの全てを携えて祭壇に上がる。我々はそれを非常に憎む。今でもミサが正しく捧げられた場合、我々はその場から逃げなければならない。我々は正にその開始時点から、灌水式の時点から、逃げなければならない。そして比喩的に言えば、その時我々はただ隙間から、おどおど見ていることができるだけである。しかし今では正にその反対で、現代風のミサでは我々はそこら中で踊り回り、果ては... 言いたくない。

下のあそこ〔下を指す〕にいる我々は、多くの教会で毎日捧げられるこのいけにえを憎んでいる。天主の家の多くでは、もはやミサが正しく執り行なわれていないというのは本当である。以前、古いやり方でミサの犠牲が捧げられていた頃は、我々にとっては正に気も狂わんばかりだった。それは、この十字架上のキリストの犠牲の更新が、それがなければ何千という単位で失われ我々に加わる筈であった霊魂達の救済のために、実際にその罪を一掃し、素晴らしい恵みを与えるからである。

彼らは聖母を憎む
しかしルシファーは上のあそこ〔上を指す〕にいる彼女を憎んでいる。その偉大な婦人が自分が望むもの、またあの冠を戴いた頭の中で考えているものを手に入れたりすると、彼はいつも激しく怒り狂うのだ。

彼らは告解の秘跡を憎む
そのようにして告解者は、偉大な、また致命的な(悪魔達にとって)罪の許しを受けるのだ。「EGO TE ABSOLVO(私はあなたを許す)」... ああ、我々はいかにそれを憎んでいることか! 今日においても我々はそれを憎んでいる!

彼らはロザリオ、十字架、僧服を憎む
〔エクソシストの方を向いて〕 我々はお前達を見ることができない。お前達が晴れの日もどんな天候の日にも大きな十字架の付いた大きなロザリオを輝かせながら持っている時、お前達を見ることができない。我々はそれを見ることができない。お前達の誰かが輝く十字架が付いたその冠(ロザリオ)をその僧服に付けてそこに居る時、我々はそれを見ることができない。我々はそれを見ることができない。我々はそれらを憎む! 我々はそれらを憎む!

彼らは司祭のストラを憎む
〔電光石火の早業でベルゼブブは司祭の一人からストラを引き剥がす〕

司祭: ストラは私のものだ。お前のものではない。いと祝せられたおとめの御名によりて続けよ!

ベルゼブブ: 我々は、もしできるなら、どれほどの悪魔的な喜びを感じつつ、全てのストラを引き剥がし、地獄へ引き降ろし、燃やすことか! お前は、我々が全ての司祭と司教のストラと帽子を放り投げて山にし、それに火を点けることができたら、どんなに喜んで踊るかを想像できるか? そうできたら! 我々悪魔はあらゆる隅で一斉にそれらに火を点けるだろう。それは地獄の中に地球まで真っ直ぐ立ち昇る煙を生じさせるだろう。もしこのことが起こったら、我々はもう一つの祝宴を持つことだろう!



だから、こうなのです。
シルバーバーチ
シルバーバーチは、その方面に関心のある人達の間で、もう何十年もの間、一定の安定した評価を得ているものである。既に「古典」の一つである。私自身も昔、それを読んで、「今一つピンと来ないなぁ」と思ったばかりで、それがよもや悪霊から来ているなどとは、ついぞ思ったことがなかったのである。けれど、時代もいよいよ大詰めになって、この「悪霊による稀代の大嘘」もとうとう暴かれ、化けの皮が剥がされるというわけである。



つまり、
シルバーバーチとマシュー君
ということです。

マシュー君も同族です。


上の等式で一番大事なのは、
当然、二番目の「仮面」です。
「偽装」の段階です。

一番上の怒った狼だけなら、
誰も寄って来ません。


(次回に続く)