2010年10月7日

トーリ・エイモス 4

Good Fight Ministries の記事をもう一つご紹介する。前回の記事と同様、多くの人の目にはただ「キリスト教文化圏内の議論」としか見えないであろうようなものである。しかし、とにかく参考資料として出しておく。(トーリ・エイモスやキリスト教文化に関する参考資料というよりも、どちらかというと「人間の心の動き方」に関する参考資料として。)

内容は、前回紹介した Good Fight Ministries がトーリ・エイモスを expose(暴露)した記事に対して、ある一人のトーリファンが抗議の投稿をした、それに対して Good Fight Ministries が回答したものである。

今回も(そして、いつも)訳の正確さは保証しない。



トーリ・エイモスについての暴露記事の間違い

Good Fight の回答

やあ、ローラ、あなたの意見を聞かせてくれてありがとう。私は個人的には、各問題についての私達の立場をより詳細に説明する機会となるという意味で、私達のウェブサイトに対する反対意見を調べる機会というものを歓迎しています。下に掲げるのは、あなたのEメールとそれに対する私のレスポンスです。私は、ただ読み易さのために、あなたのコメントを「斜体字」にしました。

「こんにちは。私は、あなた方がおそらくこのメッセージを削除し無視することになるだろうとよく知っています。何故なら、私は、あなた方が今まで私のトーリファン仲間の何人かにそのようにしたことを知っているからです。彼らが礼儀正しく、親切で、ただトーリに関するあなた方の『暴露』の中にある間違いを単純に指摘しただけという事実にかかわらず、あなた方はゲストブックから彼らのメッセージを削除しました。それは、彼らがあなた方とあなた方の信条を共有しなかったというただそれだけの理由によるものです。」

私達は、あなた方のメッセージも、また誰のメッセージも、削除していません。事実、私達は、投稿された反対意見に対してさほど遠くない時に答えようと、ゲストブックの全ての投稿を集めています。このEメールの最後に、私達が今は表示されていないゲストブックの幾つかの投稿の問題に答えて近々投稿しようとしている公開書簡を添えます。まだ草稿段階なので、文法上のミスは許して下さい。

「けれど、私はまだ、何かをはっきりさせる必要を感じています。トーリ・エイモスに関するあなた方の『暴露』は、前後関係から切り離され、誤解され、あなた方自身のアジェンダに適合するようにねじ曲げられた引用でいっぱいです。私は、もし一人のトーリファンがあなた方のために幾つかの物事をはっきりさせたなら、あなた方はたぶんそれに感謝するだろうと思いました。では、始めます。

1. マリア・マグダレナ問題。それを示唆する非常に多くの証拠があります。つまり、そう、イエスとマリア・M が関係を持っていたということのです。大部分の神学者や聖書学者たち(クリスチャンかノンクリスチャンかを問わず)がこれを有効な理論として受け入れています。事実ではなく理論としてです。それは更にグノーシス派福音書によっても支持されています。もしあなた方が聖書の歴史について幾らかご存知なら、イエスの生活と時代に関する記述からしてグノーシス派福音書もあなた方が使っている福音書と同じほど有効なものであるということを理解するでしょう。これはそれほど冒涜的なことではありません。これはただ単純に考古学的な理論です。そこにはイエスの神性を掘り崩す何ものもなければ、また彼の神聖さを僅かにでも低める何ものもありません。」

「マリア・マグダレナ問題」は一つのもの(一つの問題)でさえありません。マリアとイエスの性的関係を裏づける証拠など全くもって何も無いのです。もし誰かがそんな理論を持っていたとしても、それは人間が猿から進化したとする理論と同じほど有効なだけです。もしあなたがそのような可能的見解に固執する幾らかの「神学者」を知っているとしても、それはただ、彼らが疑いもなく非常にリベラルで、聖書の不可謬性を堅持しないということです。「その見解を支持する証拠がある」と言うのでなしに、どうぞその証拠を提供して下さい。ユダヤの律法学的な (rabbinical) 書物を見れば、あなたはその中でイエスが「非嫡出子 (bastard)」として言及されていることに気づくでしょう。イエスはヨゼフとマリアの婚前交渉の結果として生まれた疑いがあると見られているからです。しかしこれは明らかに、聖書に基づけば真実ではありません。ですから人は、うろつき回るべきではないし、このようなナンセンスについて可能的有効性などというものを主張してもならないのです。イエスが性的関係を持っていたなどという「理論」についてもその通りです。

「2. あなた方は、キリスト教の暗い側面を露出させたいという彼女の願望について、トーリの言葉を完全に誤解しました。彼女はこれについて嘘を広めたいなどとは思っていません。それどころか、彼女は真実を言いたいのです。トーリが露出させたい暗い側面とは、十字軍に関する、宗教裁判に関する、魔女裁判に関するそれです。殺人も、レイプも、火炙りも、イエスが今も昔も決して支持しないことです。キリスト教の名において行われた、酷い、恐ろしい、恥知らずなこと。トーリはキリスト教とその信者に、歴史上のそれらの期間を認めて欲しいのです。そういうことです。彼女はただ、世界に、キリスト教の 2000年の歴史は悲しいことに「隣人を愛せよ」「汝、殺すなかれ」において欠けがあったということを理解して欲しいのです。あなた方は完全に彼女を誤解しました。彼女はキリスト教を破壊したいなどという望みを持っていません。彼女はただ、キリスト教の歴史が、その善の面も悪の面も両方、認識されることを望んでいるだけです。」

あなたの上の言葉は、引用されたトーリの言葉を正当化しません。このことは、彼女からの、彼女の歌詞からの、また同様に彼女が信じている事からの、他の多くの引用を調べることによって明らかです。どんなものであれ暴力行為や不信行為と真のキリスト教とを同一視するのは不合理です。非常にしばしば、人は十字軍、火炙り等々を指摘することをもってキリスト教を「暴露」します。しかし、これら全てがキリスト教であるというわけではありません。それらを為した人々は、明らかに人間のアジェンダを遂行していたのであって、「神の言葉」を堅持しようとしていたのではないのです。ですから、キリスト教に対するこの議論は短絡的です。真のキリスト教は神の言葉(聖書)を冒涜しません。神は偽善を作りません。逆らうことを選ぶ者達は責めを負うべきです。ひとつ、ご自分が一人の演説者だと想像してみて下さい。あなたは人々を愛すことや同情心を持つべきことなどのメッセージを広めます。しかしあなたのメッセージを聞いた一人の人が出て行って、誰かを殺したとします。そしてその人があなたの名によってこう言ったとします、彼または彼女が祈りの内にある時にあなたが彼らに話しかけたのだと、そしてあなたから「殺せ」というメッセージを受け取ったのだと。しかし、この種の行為は全て、あなたにとっては邪悪なものである筈です。ですから、私がこの者の行動をつかまえて「あなた方の暗い側面」とラベルを貼ったり、また、あなたのメッセージに心から同意した全ての人々に「暗い側面」とラベルを貼り、それをその人達の人生に適用したりすることに、いったいどれほどの意味があるというのでしょう? 答えはもちろん、それは全く無意味であるということです。

「3. 引用されたトーリの言葉、『なぜ人々はフェラチオされている神のことについて聞きたがらないのかしら? 私は、生まれ変わったクリスチャンならそれが好きなはずだと思ったのだけれど』は、トーリがわざと皮肉っぽく言ったのだと思います。彼女はジョークを言ったんです。真面目に言ったのではないんです。ジョークです。そもそも、彼女は彼女の歌のどこでも、フェラチオされている神について書いていません。」

それがジョークであったとしましょう。しかし、彼女はどこかで、それはただのジョークだったと明言しましたか? そして、たとえそれがジョークであったことの証拠があったとしても、それは邪(よこしま)なジョークでした。その口から噴出するこのような品の無さを持っていて、この女性はどのようにして「スピリチュアル」であることができるのでしょうか? 聖書は言っています・・・

マタイ 12:33-37
「木が良ければ実も良く、木が悪ければ実も悪いと、判断しなさい。木はその実によってわかるのである。まむしの子孫よ、悪者であるおまえたちが、どうして良いことを語ることができるだろうか。口が語ることは心からあふれ出たものだからである。良い人は、良い物を入れた倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い物を入れた倉から悪い物を取り出す。あなたがたに言っておく。裁きの日に、人は自分が語った無益なすべての言葉について、申し開きをしなければならない。あなたはあなたの言葉によって正しい者とされ、また、あなたの言葉によって罪のある者とされるのである。」

「4. たぶん、粗悪なジャーナリズムと意図的な編集の最高の好例は、あなた方が彼女の歌『Spark』について書いた箇所です。その中で彼女は歌います、『もし神のマスタープランが完全であるならば、たぶん次に、私はユダにトライするだろう (If the divine master plan is perfection, Maybe next I'll give Judas a try.)』。トーリは『ユダのようになりたい』とは言っていません。あなた方はまず、この歌が何についてのものであるかを理解しなければなりません。トーリは1996年の後半に流産で苦しみました。彼女は赤ちゃんを心待ちにしていて、それで、それを失った時打ちのめされたのです。彼女はその流産に関して自分に責任があると思いました。というのは、彼女は1996年のツアーの終り頃に妊娠したのですが、その頃あまり健康でなかったのです。彼女はそうあるべきほどには自分の健康に気を配りませんでした。彼女は多くのストレスの下にいたし、その上、正しく食べなかったのです。『Spark』は流産についてのものです。彼女がそのアルバム(『Spark』はアルバム『From the Choirgirl Hotel』に収められています)について語っている言葉を、どこかのウェブサイトで見て下さい、彼女がそれについて語っているのを見ることができるでしょう。ユダについてのトーリの歌詞は、イエスを裏切りたいとは言ってません。彼女は自分が赤ちゃんを裏切ったと感じているのです。トーリは彼女の音楽の中で、神話的であったり宗教的であったりする言い回しを沢山します。これはその好例です。もしあなた方が歌の全体を聞くか歌詞の他の部分を読むかすれば、あなた方には分かるでしょう。繰り返します、トーリはイエスを裏切りたくありません、ユダになりたいわけではないのです。トーリは赤ちゃんを失った後、自分がユダのように感じたのです。彼女はそのことで自分を責めたのです。そして自分が赤ちゃんを裏切ったと感じたのです。」

私は今に至るまで、トーリがその歌詞を否定するかはっきりと説明するかしたのを見たことも聞いたこともありません。しかしあなたは、それにもかかわらず確信なさっているようです。あなたは私達に、あなたの主張を裏づける証拠か記録を提供してくれることができるのですね? とにかく、彼女の歌詞は、聖書あるいはまた神に対する彼女の尊敬の無さを露(あらわ)にしています。もし彼女が神に対する何らかの敬意を持っているならば、そしてこれらの歌詞によって多くの人々が惑うと理解していたならば、何故この歌は今もってここにあるのですか? 何故彼女はそれを棚から引き抜いてしまうか、少なくとも公的な訂正を入れるかしていないのでしょうか? そこが考えるべきところです。

「5. あなた方はまた、トーリの言葉『私はルシファーと結婚したいと思いました。(…)私はルシファーが邪悪な力だとは思っていません。(…)私は彼の音楽と共に彼の存在を感じます。あたかも彼が来て私のピアノに坐っているかのように』についても誤解しています。私はあなた方がまた何時ものようにそれを編集したのだと思います。うーん。。とにかく、トーリはルシファーを邪悪な力だとは考えていません。彼女がルシファーについて語る時、彼女は彼に関するキリスト教の概念を使っていないのです。彼女は古い多神教の概念を使っています。つまり、ルシファーは光の神の一人である、キリスト教が借用し、自分達の必要に応じてねじ曲げたところの一人の神である、ということです。そして、私が前にも言ったように、トーリはしばしばからかい半分のユーモアを言います。そしてインタビュー記事を読む時には、彼女がジョークを言っていたとしても、読んだ人にはそれがなかなか分からないかも知れません。可能性としては、彼女はジョークを言っていたか、あるいは皮肉っぽく言っていたということです。」

あなたが何をしようとしているかに気づいて下さい! あなたは幾つかのことを正当化しようとしています。第一に、あなたはルシファーに関するある種の「多神教的 (異教的) な概念」についてのトーリの見解を受け入れてしまっています。次に、あなたは次のような見解を表明しているように見えます、すなわち、キリスト教は「間違い」である、それは聖書をねじ曲げた、など。最後に、あなたはこれら全てを「可能性」に基づかせています。あなたが「可能性としては、彼女はジョークを言っていたか、あるいは皮肉っぽく言っていたということです」と言ったようにです。今のあなたは、トーリの言っていること、またあるいはトーリの意味していることについて、どんな確かな考えがあるわけでもないのに、それでいて、この明らかに超自然的な諸力 ------- 御者(おんもの; the One)つまり真の神のものではあり得ない超自然的な諸力 ------- に影響されている一人の人を擁護するために、Eメールを書く時間を取っているのです。あなたが擁護しようとしているあらゆるものが神を否定しているというのにです。

「6. 私はまた、Eminem(訳註:別のシンガー)についてのあなた方の記事の中で、あなた方がどのようにトーリの言葉の一つにまつわりついているかを見て、怒っています。あなた方の立場を支持する言葉だって、トーリの言葉の中に探そうとしさえすれば何トンでも取れるだろうに、あなた方がそうしなかったとは何とおかしなことでしょう。実際、トーリは、彼女の次のアルバムで Eminem の歌 (97 Bonnie & Clyde) をカバーしようとするでしょう。その歌がどんなに人をうんざりさせるものかを証明しようとして、そうするのです。もしあなた方がトーリ・エイモスのウェブサイトの中を見回せば、あなた方はこの曲に関する彼女の言葉の幾つかと、その曲が彼女をどれほどゾッとさせたかを見出すでしょう。Eminem に関するあなた方の記事の他の部分は、トーリに関するあなた方の記事と同じくらい ------- もしそれ以上でなければ同じくらい ------- 馬鹿げたものでした。あなた方は皮肉を理解するようではありません。Eminem は彼の歌の半分ぐらいで皮肉を使います。私でさえそれを知っています。そして私は彼を軽蔑しています。」

トーリのことを正当化するためにあなたが頼りとすることのできるのは、彼女はただ本当に皮肉屋なのだという一事だけです。この種の偽装、あなたが騙されているようであるこの種の偽装は、ここ Good Fight Ministries に居る私達の悲しみとするところです。

「今この時点で私があなた方に言わなければならないことは、これで全てです。私は、あなた方がたぶんこれを無視し、私のことを一人のサタニストとして、祈りを必要とするトーリ・エイモスを愛する異教徒として片付けるだろうことを知っています。それで結構です。あなた方が私について考えたいと思うことを何でも考えて下さい。」

ローラ、あなたは無視されませんでした。私は、私にEメールアドレスを提供してくれる個人には、返答を返そうとのあらゆる試みをしています。しかしながら、その通りです、ローラ、あなたは祈りを必要としています。私はあなたに、まことと愛をもってこれを言います。もしあなたがキリスト教は間違いだという嘘を受け入れるならば、その時あなたは実質的にイエスを拒絶しているのです。イエスはあなたが生命を得るために死なれました。聖書は彼を受け入れる人々について、彼はそのような人々に神の子となる資格をお与えになった(ヨハネ 1:12)と言っています。しかし聖書は、救われるために表面的に「イエスを信じること」を言っているのではありません。聖書は「悪魔でさえ神を信じている」(ヤコブの手紙 2:19)と言っています。そしてその上で、悪魔たちは救われない、と明言しているのです。

「けれど、私はトーリ・エイモスについてのあなた方の記事に在るおよそあらゆる間違いを指摘できたと思います。もしあなた方が私を信ぜず、私の指摘を信用しなくても、あなた方がそれらを確かめることのできる多くのトーリ・エイモスのウェブサイトがあります。それでもあなた方があなた方のトーリ・エイモスについての記事を変えたくないならば、お好きなように。どうぞ、誤った情報を保って、人々をミスリードして下さい。けれど、率直に聞きますが・・・あなた方は本当に、イエス・キリストの名において、人々に誤った情報を流したいのですか?

ごきげんよう。
ローラ。」

あなたが提示してくれたものに基づいて言うなら、私はあなたの主張、あなたが私達のトーリ・エイモスについてのページに在る「およそあらゆる間違いを指摘できた」という主張に、強力に反対しなければなりません。しかしながら、もしあなたが同様に私に強力に反対するならば、どうぞあなたの主張を裏づける確かな証拠か記録を私達に提供して下さい。

ローラ、私達にEメールを書くための時間を取ってくれてありがとう。そして、あなたが率直で成熟した方法で自分を表現してくれたことにも感謝します。私がこう言うのは、私達に反対するEメールの多くが、全く下品で失礼なものであるからなのです。

あなたは私達の暴露ビデオ「They Sold Their Souls For Rock & Roll(彼らはロックンロールに自分の魂を売った)」をもう見ることができましたか? もしそうでないなら、そしてあなたがそれを見ることに興味があるなら、ただ私に郵送のための住所を教えて下さい。そうすれば、無料版をあなたに出荷するよう手配しておきます。

もう一度、ありがとう、ローラ。
Steve Aguilar
–Titus 1:9