2010年9月16日

infection

前回からの続きですが...

そういう意味で、私が最初に危惧を覚えたのは、
あなたの infection を聴いた時だったかも知れません。

楽曲としての力、という点では、素晴らしい、
一種「恐ろしく」なるほどの素晴らしさが、そこにはありました。
私はそう感じました。

それは今でも、私にとって、ひとつ「別格」の曲、
そう言いたくなる曲です。

ただ、そうはいえ、あまり聴きません。

楽曲としての力を評価しないではいられない一方、私は、
「ここまで闇を濃くしていいのだろうか?」と思ったのです。
今も思うのです。




余談

そして、しかし、2002年1月14日、NHKホールでの「青春メッセージ」で、あなたは、なんと、多くの青年達、少年少女達の前で、この歌を歌ったのでした。
私はその場に居たけれども、その曲名を知った途端、心の中で「おいおいおいおいおいおい」と言わずにはいられませんでした。

「場所柄」というものがあったからです。

選曲はちーちゃん自身ではないでしょう。そうでしょうとも。
けれども、私はとにかく、その場のためにその曲を選んだ人達の「見識」を、ひどく疑いました。

その会場には、老若男女、様々な人が居たけれども、しかしその場所は、主として勿論、この先に人生行路を控えた、あるいはそれを歩き始めたばかりの、そしてその中にともかく希望を見なければならない、若者達のためのものでした。
「ともかく」と言ったのは、希望も偽善的なものであったり皮相的なものであったりしてはならないからですが、しかしそれでも、一応は、そこには希望がなければなりませんでした。そういう場所柄でした。
「青春メッセージ」になってからの番組の質はよく知らないけれど、元々は「NHK青年の主張全国コンクール」と言って、「成人を祝う」みたいな場所だったのです。

私は鬼束ちひろを愛する者ですが、それでも鬼束ちひろを盲目的に愛する人間ではありませんし、また表現の自由万歳、表現者万歳という人間でもありません。
私はあえてエバって言いますが、私のどこかは必ずPTA的なものですw PTAという言葉はとても悪い印象を与えるものになっていますが、しかし言葉本来の意味でです。それは「保護者」を意味します。そして「保護者」が必要でなくなる社会など、考えられません。

そういう意味で、あの場所にあの曲を選んだ音楽業界の人達というのは何なんだ、と思う次第でした。鬼束ちひろの曲は「光と影」であって、それこそが魅力であって(こんなことを言うことに私は若干罪悪感を感じます、自分は結局、ちーちゃんの痛み苦しみをも「旨い旨い」と言って喰っているのかと)、まったく「希望希望した曲」はもともと無いと言っていいけれども、しかしそれでも infection は、そんな中でも特別にネガティブな、いわば「100%苦悩」を感じさせる曲じゃないですか。だから、「この場所にこの選曲はないだろう!」ということになるのでした。(もう一つの曲、BACK DOOR はもちろん問題なく、私も大好きだけれども。)

ちーちゃんの責任ではないに違いありません。
いえ、ちーちゃんの責任ばかりではないに違いありません。


余談にしては、つい長くなってしまいました。けれども、自己弁護のようですが、これはある程度、自然なことかも知れません。
何故なら、このような事は、一見小さな事のように見えるけれども、実は、大きな事に繋がっているからです。
大きな事とは、すなわち -------「表現者の使命とは何か。表現者の社会的責任とは、もしそのようなものが有るとすれば、何か。」


ああ、それでも、あの場が「青春メッセージ」であったことさえ忘れれば、あのステージはなかなか素敵だったのです。(複雑)
そして聴衆に挨拶するちーちゃんも、傲慢さや無神経さなど微塵もなく、謙虚そのものでした。